「労働基準法はなぜつくられた⁈」
このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。
「今は過去からの歴史の積み重ねの上にある」とはよく言われることだが、私たちの会社生活にも当然のように存在する。入社の際に結ばれる労働契約もそうであるし、一日8時間、週40時間労働を定めている労働基準法も然りである。
では、いったいどのような歴史を刻んできたのか。改めて検証してみよう。
西暦1600年といえば、日本では江戸時代直前の豊臣・徳川による関ヶ原の戦いがあった年だ。この1600年代、イギリスでは通称無血革命といわれる市民革命がおこる。そしてこの市民革命こそが従来の封建制度を克服し、民主主義への道を歩み始める転換点になるのである。歴史の転換点といわれるほどの革命とはどういうものなのか。民主主義への道とはどういうことか。
市民革命とは、それまでの封建的で、一部の権力者による絶対主義的な国家の在り方を解体して、近代的市民社会を目指す革命を指す歴史用語とされる。一般的には、人権、政治参加権、あるいは経済的自由を主張した「市民」が主体となって推し進めた革命と定義されている。
その結果、「市民」はそれまでの封建・絶対主義から解放され、自立した個人、合わせて国を成り立たせる経済に欠かせない存在であることが求められたのである。
自立した個人と国の成り立ちに欠かせない経済システム、この二つを両立させるにはそれまでの封建性社会ではできないために、新しい仕組みとして資本主義というシステムが必要になるのである。こうして資本主義社会が誕生したのである。
資本主義社会の絶対的条件には「私的所有」が欠かせない。土地、財産などの私的所有が認められれば、個人において財を持つ者と持たない者とが生まれる。
財を持つ者は、財を使って会社をつくり、持たない者を雇って自らの財をさらに増やそうとする。こうして資本主義社会に必要な条件が整ったのである。
市民革命によって成立した資本主義社会は、三つの原則を打ち立てる。
一つは、「契約自由の原則」であり、二つには「財産権の尊重」、三つには「過失責任の原則(自己責任の原則)」の三原則である。三原則の意味は次のとおりである。
一つ目の「契約の自由の原則」とは、
契約関係をするにあたっては、契約する双方が独立して自由な合意に基づいて成り立つと考える。だから労働者が働いて賃金を得る使用者との契約も、双方が自由な意思で合意した契約として扱われる。今、私たちが会社に入社するにあたって会社と労働契約を結んでいるが、この契約も、会社と私たちは、双方とも独立して自由な意思によって合意しているとされる。
「双方とも独立して自由な意思によって合意したもの」として扱われるとされた場合、その時々の労働市場の状況によって疑問符が付く。失業者が多く、就職が難しい時には、労働者は労働条件に強い意見は言いにくい。不満があっても我慢せざるを得ない環境に置かれてしまう。到底自由な合意とはいえないのに、「双方とも独立して自由な意思によって合意したもの」とされてしまうのである。
二つ目の「財産権の尊重」というのは「私的所有権の保障」と同字意味で、資本や設備などの生産手段の私有で成り立つのが資本主義経済であるから、まさに資本主義経済成立の根幹になる考え方なのである。
三つ目の「過失責任の原則」は、人は故意、または過失がなければ、その損害に対して一切責任を負う必要がないというというものである。これはさまざまな問題を孕(はら)んでいる。
第一の原則である「契約の自由」のもとでは労働者と使用者が契約さえしてしまえば、対等であったか否かは問題にならない。契約内容は問われずに自由な意思のもとで約束されたものと扱われるのである。そのために低賃金・長時間労働などの劣悪な労働条件は、自由な意思で結ばれた契約ということにされてしまう。中でも女性・児童の酷使は人間の尊厳を無視し、かつ健康を悪化させることになり社会問題として放置できないまでになっていくのである。
また第三の原則である「過失責任の原則」も問題になる。労働者が劣悪な作業環境や長時間労働による疲労で労働災害にあっても、故意や過失が明らかでないと補償を受けることが難しくなってしまうのである。
そして、雇用契約・解約の自由は、やがて使用者のための採用の自由、解雇の自由と化し、使用者の意思や経済情勢に直結する失業が蔓延してしまう。さらに、もともと弱い立場の労働者の求職や就職に対して、営利の職業紹介業が生まれ中間搾取や強制労働(拘束労働)が行われるようになる。
ここまで労働者が経営者に屈従を強いられれば、反発は必至だ。労働者はまとまって労働条件の基準を申し合わせ、使用者に遵守を要求するようになる。しかしこうした行為は、「使用者および個々の労働者の労働力に関する取引の自由を制限する違法な行為」とされてしまう。
加えて、労働者の団結の武器としてのストライキ(労働力の集団的な提供拒否)は、雇用契約上の労働義務違反や集団的な業務妨害行為として違法とされてしまうのである。
こうした経営者の思いのままの行為に対して各国は、それらの問題に対処するために労働法を作り、罰則を与え、規制を強めていくのである。
具体的には、
第一に劣悪な労働条件に対応するために、工場労働に関する労働条件の最低基準を定めて、それを遵守するよう罰則を定めたり、行政監督によって強制する法律(工場法)を作ることになった。当初は工場における女性・年少者の労働時間の制限が中心であったが、次第に適用事業、適用対象労働者、加えて保護の内容を拡充し、一般的な労働基準法になっていくのである。
第二に労働災害に対しては、労働者の業務上の災害については、使用者の過失の立証をしなくても、使用者から一定の補償を受けることができるようになる(こらが労災保険制度の確立につながっていく)。
第三に失業と就職の問題については、使用者の採用の自由は認めつつも、国が職業紹介や職業訓練のサービスを提供して就職活動を援助する制度、失業者に保険を給付したり(失業保険)、暫定的な労働の場を与えたりして、生活を援助する制度が発達していく。さらに営利職業紹介業の弊害を消すために、労働者の求職・就職に関する事業を厳しく規制する法律も作る。 同時に使用者の解雇権を制限する法律も成立する。
第四に労働者の団結については、労働者の団結活動の禁止を撤廃し、その活動に対して市民法上違法とする項目を取り除く法律を成立させる。具体的には、①団結(労働組合の結成)を認める法律、②労働者のストライキ、ピケッティングなどの争議行為によって生じる市民法上の責任(使用者からの損害賠償要求)の免責など、どちらかといえば労働組合の認知と活動を自由にする消極的保護にとどまっていた。しかしやがて、国によって違うが、労働協約に特別な効力(規範的効力・一般的拘束力)を与えたり、使用者の反組合的活動を不公正労働行為(日本では不当労働行為)として禁止し、被害を受ける労働組合に特別な救済手続きを設けるなどして、団結活動を積極的に助成する法も整備されていく。
このように、労働法の歴史を見ればわかるように、企業社会において企業が利益至上主義に走り、企業運営が反人道的、反倫理的、反道徳的行為に陥ると、社会からの指弾を受け、行き着くのは法律による規制になる。自分の会社は「しない」からいいのではなく、ある企業の反社会的行為を企業同士で自浄できなければ、やがて法律で規制されることになるのは上記の歴史が証明している。