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経済的隷属から男女平等は生まれない

このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。


男女問題を考えるとき、必ず話題になるのが「差別」という言葉である。
では、差別とは一体どういうことなのだろうか。人の世である限り、他人と自分は違う。それを差別という人もいるが、もしそうなら、自分と他人がいる限り差別はなくならないことになってしまう。問題は、「人とは違う」という意識が「他より自分が優位である」と考えるか否かに根差しているように思う。


男女差別問題は、男の意識と女の意識の差というわけでもない。同性の中にも意識の差があり、論争が繰り返されてきた。その論争の中でもっとも有名なのが、「『平塚らいちょう』と『与謝野晶子』」の論争である。

この論争は「母性保護論争」と呼ばれ、両氏は1918年(大正7年)から1919年(大正8年)の間、「働く女性と子育て」について論争を繰り広げた。

この論争で、平塚らいちょうは、「国家は母性を保護し、妊娠、出産、育児期の女性は国家によって保護されるべき」と「母性中心主義」を主張、その一方で与謝野晶子は、この「国による母性中心主義」を否定、平塚らいちょうの主張は、「国家の母性保護運動は形を変えた新たな良妻賢母にすぎない」と論評した。

加えて、国家による母性保護は「奴隷道徳」、「依頼主義」で、「婦人は男子にも国家にも寄りかかるべきべきではない」と強調している。

そして百家争鳴ではないが、この論争には山川菊枝(日本の婦人問題評論家・研究家。戦前、戦後を通じて女性運動の理論的指導者として活動し、労働省の初代婦人少年局長をつとめた。日本の婦人運動に初めて批評的、科学的視点を持ち込んだ。多くの評論集は、明晰な分析と鋭い批評眼を示し、日本における女性解放運動の思想的原点と評される。戦後は民主婦人協会を結成、その後婦人少年局長に就任した)、
さらに、山田わか(女性運動家、母子福祉活動家、思想家、教育者。思想・教育・文芸・婦人問題評論家)が、良妻賢母主義的立場から論争に参入する。その主張は「独立」という美辞に惑わされず家庭婦人(専業主婦)も金銭的報酬はもらっていないが、家庭内で働いているのだから誇りを持つべきというもので、お互いに持論を大いに論じている。

この中で特筆すべきは、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと社会主義の立場から主張したのが、山川菊枝である。同氏は与謝野と平塚の主張の双方を部分的に認めつつも批判し、保護(平塚)か経済的自立(与謝野)かの対立に、差別のない社会でしか婦人の解放はありえないと主張した。



こうした論争をつぶさに読んでみると、今の時代においても男女差別が根絶されていないことに気づく。

労働組合が取り組む春闘において、毎年必ず課題に挙げられるのが男女差別の解消である。

企業における処遇制度にはいくつも課題があげられるが、男女差別問題は「永遠の課題」のように挙げられている。

かつて日本でも、「同一労働・同一賃金」が叫ばれた時代がある。「同じ仕事なら、性別にかかわりなく同じ賃金をもらえる」という考えだが、なにごとにもいろいろの意見がある。長く勤めた会社への貢献があるではないか。賃金の有力な根拠が生計費なら、地域によって物価が違うことをどう考慮するのか。仕事を細かく分析すれば、どれ一つとっても同じ仕事はない、・・・etc。

表面的な仕事の比較から同一処遇にすることへのこうした意見に対して、近年は「同一『価値』労働・同一賃金」の論理が常識化してきた。仕事や立場が持っている「価値」を基準に考えようとするものだ。たとえば、同じような仕事をしていても、役職や就労形態によって「価値」に違いがあるというものである。

たとえば、正規社員とパートを比較した場合、仕事が忙しければ正規社員は時間外労働をするのが当たり前だが、パートは時間で契約しているから残業はしなくても良い。転勤のあるなしも同様だ。こうした違いは「働くことによって生じるリスク」であり、正規社員と非正規社員という雇用形態・就労形態の相違から生まれている。一見した仕事は同一でも、仕事を取り巻く環境や義務を価値として、価値の比較による処遇の差は容認するというものである。

しかし、労働を一見した限りでの同一性としてみるのか、内容を含めた「価値」である同質性としてみるのかの違いはあっても、現状の格差は正しいという根拠にはなり得ない。



そんな中で一石を投じているのがオランダの「ワークシェアリング」の考え方である。

かなり前になる1980年代初頭、オランダは、高まる失業率への対策として、経済成長率、国家財政の健全化、失業率の抑制などの構造改革を目指し、1982年オランダハーグの郊外にある静かな住宅地ワッセナーで経営者連盟会長、首相、労働組合連合委員長が一堂に会し、歴史的な合意を結ぶ(余談だが、この静かな住宅地の地名をワッセナーと呼んでいたことからこの合意をワッセナー合意と呼ぶ。このときの労働組合連合(FNV)委員長は後の労働党政権の首相となる)。

根本孝氏の「ワークシェアリング」(ビジネス社刊)によれば、三者合意の基本は、労働組合は賃金の著しい要求をしないこと、経営者は労働時間短縮に同意し、週40時間未満のパートタイム労働(正規社員)を受け入れ、雇用確保に努めること、政府は減税につとめ財政赤字の削減を実現し、また賃金交渉には介入しないという三者の譲歩、経済社会への責任ある行動を合意したものであった。

このパートタイム労働は日本のような「非正規社員」とは全く異なり、「短時間正社員」のことであることに注意して欲しい。以上の基本合意をもとに78項目にも及ぶガイドラインが合意された。雇用に関係する項目だけを挙げてみても次のように要約できるという。

①職務期間や契約のフレックス化や短時間労働の促進と条件緩和。
②一時的レイオフの公認。
③労働組合による賃上げ要求の抑制。
④企業間、職種間での賃金格差の受け入れ。
⑤教育訓練や家族としての責任遂行のための職場を離れる機会の拡大とベネフィットの提供。
⑥転職に伴う年金権利のポータビリティーの制度化。
⑦転職に伴う住宅売却税の償還。
⑧リカレント教育への使用者、労働者へのインセンティブの拡充。
⑨長期失業者への教育訓練と包括的雇用体制の構築。
 などとなっている。


この合意による「短時間正社員」制度にはワークシェアのもう一つの目的があった。いわゆる多様な働き方を実現することであり、男女の均等処遇の実現である。オランダは北欧の中でも日本と同じように「女性は家庭に」という精神風土が一番強い国といわれる。そうした社会風土の中で女性の社会的進出を促し、均等処遇による共働き社会を構築することには多くの抵抗があったに違いない(一人の収入で家族全体を支える世帯主義賃金から、均衡処遇によって共働きの収入で家計を支えるという考え方)。だからこそ労使だけの合意では実現は難しく、政治による社会的制度の確立(託児所、保育所の完備、税制、年金、医療等の改革)が必要であったのだろう。その結果、20%台の失業率を一桁台前半にまで低下させ、経済も一定の成長率を確保してきた。


しかし、日本では賃金も世帯主義(一人の賃金収入で家族世帯が生計を立てる)であるし、時間給にもなっていない。年金も税制も社会のあらゆる法律は「女性は家に」という前提でつくられている。当然「男女共働き」を前提にした法律改正が必要になる。

さらに、ひとり一人の意識も変えなければならないから、もっと時間を必要とする。成果を挙げるためには長い時間を必要とするのだから、来年よりも今年から、明日よりも今日から一歩を踏み出すことが必要なのである。
加えて、賃金が世帯主義になっていると、専業主婦(主夫)は経済的に隷属関係になる。経済的に依存していれば個人の意思は自制(我慢)するしかない。真の意味での男女の対等性は確保できない道理だ。

私たちには、こうした課題が突き付けられている。それをどのように考え、解決へ向けて取り組んでいくのか、それが求められているのである。