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「個別的労使関係での分権的組合活動」という仮説設定とその前提

j.union社の“WEBメディア―勉強note「働く×マナビバ」”開設にあたり、これから趣を新たにして、私の遺書として上梓した西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社の内容紹介を兼ねて、シリーズにて「個別的労使関係での分権的組合活動の理論と手法」を綴っていきます。
※前回の記事はこちらから


成果主義的な人事管理制度への改革によって、領域Aにおける個別的労使関係に問題が多発しており、職場に労使関係を必要とする空間領域が生まれています。かつ、その出来事に組合員の関心やニーズが移動しています。
 
この労使関係を必要とする空間領域とは、どんなに雇用管理・賃金管理・昇進管理・労働時間管理・能力開発などの人事制度が体系的に整備されていたとしても、その制度どおりに運用されることはまずなく、小さな不平不満から人権無視やコンプライアンス違反などの大問題を生み出す運用が多々見られます。
 
そしてそこに、労働組合および組合活動が必要とされる部面が存在します。にもかかわらず、いまだ労働界指導部は領域B、C、Dでの集団的労使関係での問題解決に執着しています。そのようなこと(「領域A」での組合活動を欠如させていたの)では、「極北の地」の労働組合として、ふさわしい居場所を確保することはできないのではないか。つまり、労働組合の再活性化は、「個別的労使関係での分権的組合活動」によって導き出される、ということが本稿の仮説設定です。
 
この「極北の地」という表現は、個別労使交渉で賃金が決まる国のことを表すもので、石田(2009)にて、
「賃金は企業が決める、あるいは賃金は企業の採算性によって決まる、このことに何の疑いも持たない私たちは分権化の極北の地の住人なのだ」(p.66)とか、
「個別化は同じ組織に働いていて、同様の職種に従事していても個々人の働きぶりが賃金に反映されるという意味だが、頑張る人もそうでない人も同じ賃金なら「張り合いがない」と考える私たちは個別化の極北の地の住民にふさわしい」(p.66)とか、
「雇用関係の分権化と個別化の極北の地にふさわしく賃金も仕事も職場も、それも詰めて言うと上司部下の間で決定される」(p.85)とか、
―述べていることによるものです。
 
欧米の労働組合=労使関係では、個別労使交渉で賃金を決めることはありえないのですが、日本では、個別労使交渉で賃金等を決めていくことを、労働組合が容認する独特の国であることを言い表す言葉です。
 
 
ただし、ここであらかじめ述べておきたいことが3つあります。それは、本稿が提示する仮説設定を前にした、3つの前提です。
 
その1つめは、労働組合が個別的労使関係での問題解決に取り組む必要性を指摘することは、労働組合が集団的労使関係での問題解決に取り組むことを否定するものではない、ということです。
 
労働組合がなぜ必要なのかについて、野川(2021)において、以下の3つの理由を取り上げています。
⑴「労働力」という商品は「売り惜しみができない」という不利な性質を持っているので、労働者は確かに使用者より弱い立場にある。
⑵労働契約というものは、使用者の指揮命令に従って働くものだということが労働者側の契約上の義務になるので、どうしてもそこでは人的な上下関係ができやすい。
⑶労働契約は、売買などの他の一般的な契約と違って、労働者になる側が常に「生身の個人」でしかありえないという特質がある。よって法人、会社と個人が契約を結ぶとなれば、本質的に個人が弱くなるのは当然である。
 
このような、野川(2021)における、以上の3つの指摘をまとめると、「労働契約は本質的に労働者の側に立つ側が不利になるという特質がある」(pp.60-61)ことは、百も承知しています。
 
だからといって、日本の労働組合は領域Bを含めて領域C~Dでの集団的労使関係の領域での組合活動に取り組んでいるだけでは、「極北の地」の労働組合としての責任を果たせない、ということを訴えたいのです。日本の労働組合は、集団的労使関係での組合活動とともに、個別的労使関係での組合活動を創出して、車の両輪として駆動させていくことが求められる、という主張なのです。
 
 
本稿の仮説設定にあたって、前提としたい2つめのことは、労働組合が個別的労使関係に踏み込む必要性を述べることは、経営学における人的資源管理論に代表される「労組機能不全論」に加担し、ノンユニオニズムを述べるものでもない、ということです。
 
近年、HRM(Human Resource Management)=人事管理、人的資源管理のテキストから「労使関係管理」の章が欠落しています。それらのテキストの代表的事例として、平野・江夏(2018)を紹介します。
 
第2部の第9章が「労使関係―従業員尊重のための人事管理」と題しています。当該章の163頁に示された図9.1「企業から従業員への多様なかかわり」内に、「労使関係:雇用関係全体をよりよくするための、企業と従業員のやりとり」と定義づけられていることからも判断されるように、「労使関係」が、かなり飛躍した解釈になっていることが読み取れます。
 
さらに、第5節に「従業員が勝ち取る権利」として労働三権が憲法で保障されていることを述べ、「経営者と労働組合の間では、じつに幅広い事柄が議論・交渉されている」(p.175)との記述はあるものの、最近の労働組合の影響力の低下にふれて、時代の流れは集団的労使関係から個別的労使関係への変化を示唆しつつ、労働問題の課題解決に労働組合が関わらない個別労働紛争解決システムの機構が整備されていることに言及していきます。
 
そして、この章の最後の「EXERCISE」にて、「労働組合が存在しないにもかかわらず、労使間の関係が安定的で、職場に活気がある会社の事例に着目し、それを可能にするために経営者と従業員に求められることを、それぞれ述べましょう」(p.179)と読者に問うものとなっていて、まるで、人的資源管理によって、労働組合は無用長物になっていくもののように扱う著書になっています。
 
すなわち、平野・江夏(2018)は、集団的労使関係での労働組合の交渉力の必要性は消滅したとまでは言わないものの、労働組合の「影響力の縮小」を指摘し、「労使関係管理」や人事管理の諸制度や機能として、実務的に取り扱わなくてもよいことを示唆する著書となっています。
 
 
本稿の仮説設定にあたって、前提とする3つめとは、労働問題研究者からの労働組合「機能不全論」「労使関係終焉論」の代表格としての、遠藤(2014)の指摘に与(くみ)するものでもない、ということです。
 
遠藤(2014)は、「『団体交渉』を中心とした労働組合は、現在、機能不全となっている」(p.67)として、その理由を「労働組合ではないが、労働者の雇用上の権利を擁護する組織…これらの活用によって、しばしば労働組合の機能以上に、労働者の権利擁護が可能になった」。それらの組織として、「労働NPO」「協同組合や社会的企業」「能力開発・雇用紹介・就労支援の諸組織」をあげています。
 
さらに、遠藤は「2013年現在、理論としての労使関係論はほぼ終焉したと考えてよい」とする理由として、次の5つの変化を指摘しています。
 
1つめの変化は、産業構造が変化し、産業の中心が、製造業からサービス産業へ移行したこと。2つめとして、雇用の比重が、常用の典型雇用から不安定な非典型雇用へ変化した、職場への定着度が低い労働者が増加したこと。3つめは、女性労働者が増加し、それが大きな要因となって、家族形態が多様化し、「男性稼ぎ主型家族」が消滅ないし揺らいだこと。4つめは、国際競争において企業が優位にあるか劣位にあるかによって、その企業に働く労働者の雇用労働条件が大きく左右されるようになったこと。5つめは、外国人労働者が不安定な非典型雇用の供給源になったこと―をあげています。
 
 
以上の本稿の仮説設定にあたって述べておきたい3つの前提を、言い換えると、野川(2021)に代表される集団的労働力取引の必要性の論理に固執し続けた結果、つまり、集団的労使関係での集権的組合活動にこだわり続けた結果、個別化させる人的資源管理や、それに伴い多様化・個別化する組合員・労働者の意識の変化に対応できず、組合離れや組織率の低下に対処することができないでいた。その結果、HRM(Human Resource Management)のテキストから「労使関係管理」の章の欠落や、多くの労働問題研究者から労働組合「機能不全論」「労使関係終焉論」を宣告される事態に至ってしまった、と言える、ということです。
 
したがって、本稿が提起せんとする仮説は、どんなに企業経営が人的資源管理論への移行によって、労使関係が個別化したとしても、企業における上司と部下との関係の中に、労使関係を必要とする空間領域は存在し、消滅することはないということです。
 
上司と部下との関係において生まれる問題が、マネジメント(人的資源管理)の枠内(制度)で解決されしまうことなどあり得ません。また、どんなに個別的労使関係の領域に踏み込んだとしても、人的資源管理に取り込まれてしまい墓穴を掘ること(ノンユニオニズム)にはなりません。
 
むしろ逆に、個別的労使関係にこそ、もはや集団的労使関係では失われてしまった労働組合の存在価値や、緊張感を持った新たな労使関係(新たなユニオニズム)を作り出していく労働組合活動発展の可能性がある、というものです。
 
労使関係とは企業と労働組合との間にだけ存在する関係だけではなく、1対1の上司と部下との間に、労使関係を必要とする空間領域が存在し、労働組合の存在価値や機能は、その空間領域に新たに生まれるものも含めて存在し続ける、ということです。
 
それはつまり、「労働組合が存在しなくても、労働法を活用した個々人による労使交渉・協議を展開するところに労使関係は存在する」(西尾2023:4)との解釈に立つものです。
またそれは、個別的労使関係の確立は、個別的労働力取引を当然とする「極北の地」の住人が、個別的労使関係においてこそ、確立しなければならない、ものなのです。
 
「極北の地」の日本の労働組合の役割は、職場の中にこそ組合活動を必要とする空間領域があり、またすでにその空間領域から生まれている新たな組合活動(労使関係)のニーズや関心をリサーチする必要がある、というものです。
 
どのような時代の企業経営になろうとも、職場には労使関係の調整を必要とする空間領域が生まれているから、組合員一人ひとりが「職場の主人公」となって、領域Aにおける個別的労使関係に発生する問題を解決する組合活動の機会や場を用意する必要があります。その機会や場として、目標管理・人事考課制度の各面談を逆活用して労使交渉・協議にすることや、職場リーダーを中心にした職場での自主管理活動が用意されていけば、労働組合活動の再活性化は可能となるでしょう。
 
集団的労使関係での集権的組合活動は、個別的労使関係での分権的組合活動が活発化することで蘇生され、逆に、その個別的労使関係での分権的組合活動は、集団的労使関係での集権的組合活動によって保証・補完されることで活発になるだろう、というものです。
 
 
参考文献
石田光男(2009)「日本企業の人事改革と仕事管理―正社員の雇用関係」石田光男・願興寺晧之編『労働市場・労使関係・労働法』明石書店
遠藤公嗣(2014)「労務理論の到達点から考える労使関係」『労務理論学会誌』労務理論学会第23号
西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新しい労使関係』日本評論社
野川忍(2021)「労働組合と法―労働組合法」仁田道夫・中村圭介・野川忍編『労働組合の基礎―働く人の未来をつくる』日本評論社
平野光俊・江夏幾多郎(2018)『人事管理―人と企業、ともに活きるために』有斐閣


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