【No.8】能力主義管理を受容するも、職場の自主管理に取り組む日本の労働組合
j.union社の“WEBメディア―勉強note「働く×マナビバ」”開設にあたり、これから趣を新たにして、私の遺書として上梓した西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社の内容紹介を兼ねて、シリーズにて「個別的労使関係での分権的組合活動の理論と手法」を綴っていきます。
※前回の記事はこちらから
前回、能力主義管理を受容する日本の労働者と労働組合についてふれましたが、それがゆえに、職場の自主管理という先鋭的な労働組合活動を展開します。職場での自主管理活動の取り組みは、西尾(2023)での、個別的労使交渉と併存するキー仮説ですが、そのことに触れる前に、職場での自主管理活動に着目した先達の先行研究を見てみたいと思います。
小池(1974、1975)は、企業別組合の個別的労使関係での規制力について、自分に深くかかわることを決めるときに発言していることを労働者の経営参加と呼び、
と記述しています。
さらに、小池(1976)では、
と述べています。さらに、小池(1977a)になると、
と、職場における準自律集団の存在を示しました。
このように、小池は、日本の企業では職場内外の配置・移動について、職場集団にゆだねていることや、職場での人の配置や仕事と、賃金を切り離した柔構造であることを示しています。そして、製造業の現場で発見した準自律職場集団のリーダーは、しばしば職場における組合のリーダーであった、と指摘しています。そして、企業別労働組合は労働組合としての規制力は弱いが、職長をリーダーとする職場の労働者集団によるなかば自律的な規制力を発揮していることを、聞き取り調査から明らかにしています。
ただし、小池が発見した「職場の準自律集団」については、日本評論社の『経済評論』の74年10月号で、
としています。
1970年代においては、このような観察・記述は当然でしょう。上司と部下間の1対1の個別労使交渉・協議の機会や場は、職場にはないものとして把握されても不思議ではありません。成果主義型賃金・人事制度の根幹にすえられた目標管理・人事考課制度が本格運用されたのは、1990年代からであったからです。「集団内の個人に関しては、あまり発言しない」とみるのは、ある意味自然なことでしょう。
さらに、「職場での自主管理活動」について言及した先行研究には、仁田(1988)があります。労働者参加を支えるものとして、
と仁田(1988)は述べています。
栗田(1994)は、日本の労使関係の意義を把握するためには、日本の労働者の価値観と行動様式に着目した理論的枠組みが必要であるとして、日本の労働者の価値観に組織志向的特質が形成されている必然性を検討し、労働者が構成する職場秩序の共同体的特性(p.ⅲ)を見ていく必要性があるとして、その共同体的特性は
であり、
ことから、労働組合が労使関係において
と述べています。
佐野(2002)によると、百貨店の事例からホワイトカラーの職場において
と述べており、職場の自治をつかさどる「自律的な職場集団」の存在を明らかにしています。
なお、西尾(2023)では、小池が使った「職場の準自律集団」との言葉は使用せず、「職場自主管理活動」とか「職場での自主管理活動」という言葉にしています。また、「職場での自主管理活動」を、管理職をふくめての職場懇談会等と名称づけられる、全従業員(非正規雇用等の、組合員でない人も含まれるケースもある)の発言機会・機能を発揮する場として取り扱っています。
であれば、「職場での自主管理活動」が集団性を帯びている活動であるから、個別的労使関係というよりは集団的労使関係として捉えるのが適切であるとの見方もありましょうが、職場での自主管理活動は、参加者一人一人の自分に深くかかわることを決めるときの発言であることから、個別的労使関係での分権的組合活動に含めていることを理解していただければと思います。
そして、さらに職場での自主管理活動に着目した先行研究として、西尾(2023)は心理的契約や不完備性論を取り上げます。
服部(2013a)は、
と、心理的契約論を展開しています。
そして、心理的契約の不履行が発生している理由として、1つは、契約不履行の理由を外部要因に帰属しやすい状況、すなわち、国内需要の鈍化や規制緩和による競争激化などによる経営環境の変化によって企業業績の低下が発生しているためと述べています。
もう1つは、日本企業にとって、心理的契約、とりわけ書かれざる約束を遵守するインセンティブが低くなっていること。つまり、どこの会社も雇用の安定が困難になっており、契約不履行がおこなわれているなか、無理して契約履行する必要はない、という考えを理由として挙げています。
佐藤(2011)は、心理的契約とは、自分は組織に対してどうかかわるのか、という個々人と組織の間で形成された相互期待に関する信念の体系と説明しつつ、
と指摘しています。
このような服部や佐藤の指摘からすれば、労働者は集団的労使関係で決まる労働契約ではカバーしきれない領域、文章化されないまま形成・維持されている心理的契約を抱えている、という解釈に立つことが求められます。
さらに、この心理的契約は個人と組織との間に成立するものであるとすれば、領域A(個別的労使関係での分権的組合活動)において契約更新されなければならないものである、と西尾(2023)は解釈します。
それはつまり、雇用(労働)契約の開始にあたり先立って文章化されている契約だけでなく、文章化されていない組織と個人の相互義務や、約束を契約と見なす心理的契約の遵守・更新・改定というソフト環境の整備に、労働組合活動の重心を置く必要がある、との主張です。
以上、紹介してきた先達の先行研究から、職場での経営参加(民主化)には、自治の体制が職場に確立されている必要性と可能性を示唆するものでありながら、いまだ十分に実態が説き明らかにされていないことが理解されたことと思います。
したがって、今後は、西尾(2023における)分析枠組みでの作業仮説として、A労働組合の現場から、領域Aでの自律・当事者型の組合活動としての個別的労使関係での分権的組合活動(=個別労使交渉・協議力[発言力]と職場の自主管理力の発揮・強化)の実態を明らかにしていくことにします。
参考文献
栗田健(1994)『日本の労働社会』東京大学出版会
小池和男(1974、1975)「労働者の参加―職場における労働組合1~3」『経済評論』日本評論社1974年10月号、11月号、1975年1月号
小池和男(1976)「わが国労資関係の特質と変化への対応」『日本労働協会雑誌』日本労働協会6月号
小池和男(1977)『職場の労働組合と参加』東洋経済新報社
佐藤厚(2011)『キャリア社会学序説』泉文堂
佐野嘉秀(2002)「パート労働の職域と労使関係―百貨店の事例」仁田道夫編『労使関係の新世紀』日本労働政策・研究機構
西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社
仁田道夫(1988)『日本の労働者参加』東京大学出版会
服部泰宏(2013)『日本企業の心理的契約―組織と従業員の見えざる約束<増補改訂版>』白桃書房