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労働組合が政治に取り組んでは困る人々

このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。


日本では労働組合が政治問題に取り組むことに異論も多く、いろいろな意見が交わされているが、資本主義社会の誕生とその後の発展を見ると、労働組合が政治に取り組むのは必然であり、むしろ取り組まなかったとすれば、それこそが労働組合の責任を果たしていないとさえいえるのが歴史が示している。

資本主義社会の誕生はイギリスにおける近代市民社会の誕生による。それまでの封建社会は革命によって崩壊、王政から市民中心の社会へと変貌を遂げる。

市民中心の社会はある思想を「燎原の火」のごとく、ヨーロッパ社会に広げることになる。その思想こそが現代においても生きながらえているマルクス主義である。

マルクス主義は、産業革命によって社会が混乱し、人々の生活が困窮していたことで影響力を発揮する。西欧社会が王政による封建時代に決別し、市民中心の近代市民社会を誕生させ、産業革命という新しい経済システムに移行した時、多くの矛盾や混乱を招いていた。その様相は下記のようであったらしい。

【産業革命は西欧社会の富を著しく増大させ、衛生、健康、快適さといったものの水準を根本的に引き上げた。確かに初期の段階では、新しい工業都市へ工場労働者が集中し、既存の都市が急激に膨張したので、従来の制度では対処できない社会問題が作り出された。このことは、社会主義革命によって問題が解決されない限り、豊かさの中でプロレタリア大衆はますます貧しくなっていくという、カール・マルクス(1818年~83年)の見解の根拠になった。マルクスが彼の主要な思想を初めて明確に系統立てた1848年には、こうした見解はきわめてもっともらしく思われた。実際、1789年にパリの暴徒がバスティーユを襲撃し、フランス大革命の幕が切っておろされた時以来、都市の貧困層に根拠をおいた革命的暴力は、ヨーロッパの政治における有力な力となっていたのである。

だが1848年から49年にかけて、これと性格の似た一連の群集蜂起が失敗に終わった。それから間もなく、様々な社会的装置が考え出され、初期の産業社会にあふれていた苦痛や醜悪さを抑制したり、改善したりするようになった。例えば、都市警察のような、近代国家の公共秩序のための基本的制度が作られたのも、1840年代以降のことであった。これに劣らず重要なものとして、下水システム、ゴミ収集、公園、病院、健康保険や災害保険などの制度、公立学校、労働組合、孤児院、養護施設、刑務所、その他多種多様な人道的、慈善的な事業があった。どれも貧乏人や病人、不幸な人間の苦しみを軽減することを目的としたものだった。十九世紀後半には、今あげた例をはじめ、様々な施設や制度が次々に生まれ、都市の膨張によってそれらが必要とされてくるのとほぼ足並みをそろえて活動を開始していった。その結果、人々の革命的感情はきわめて高度に工業化した国々では後退していき、広がってゆく工業化の最前線にあたる地域にだけ残った。そうした地域の中でも、ロシアの場合は特に著しかった。この国のツァーの下での官僚機構は、産業化社会の要求に対して反応するのがいかにも遅く、また冷淡だったのである。】

ウィルアム・H・マクニール著「世界史」〈下〉より

ここでマクニール氏は上記著書に中で重要な指摘をしている。産業革命によって労働者は新しい工業都市へ集中していくが、それまでの都市が急激に膨張したため、従来の制度では対処できない社会問題が作り出されていくのだが、その解決に向けての動きである。

【初期の産業社会にあふれていた苦痛や醜悪さを抑制したり、改善したりするようになった。例えば、都市警察のような、近代国家の公共秩序のための基本的制度が作られたのも、1840年代以降のことであった。これに劣らず重要なものとして、下水システム、ゴミ収集、公園、病院、健康保険や災害保険などの制度、公立学校、労働組合、孤児院、養護施設、刑務所、その他多種多様な人道的、慈善的な事業があった。どれも貧乏人や病人、不幸な人間の苦しみを軽減することを目的としたものだった。十九世紀後半には、今あげた例をはじめ、様々な施設や制度が次々に生まれ、都市の膨張によってそれらが必要とされてくるのとほぼ足並みをそろえて活動を開始していった。その結果、人々の革命的感情はきわめて高度に工業化した国々では後退していき、】

ウィルアム・H・マクニール著「世界史」〈下〉より

現代社会では当たり前である社会インフラの整備が人々の意識に影響を与え、「貧困や困窮が資本主義制度によるもの」というマルクスの主張は急速に人々の支持を失っていくのである。

そして私たちが最も関心を持つべきは、社会の安定に労働組合の存在が欠かせなかったことである。それは今も変わりはない。むしろ労働組合が政治にかかわり、政治活動に取り組ことこそが、社会の安定のカギを握っているとさえいえるのである。

それゆえに、労働組合が正論を主張し、政治的立場を明確にすることが、自分たちの政治的主張に差しさわりがあると考える人々は、「労働組合の政治活動」に異論を唱え続けているのである。

そうした風潮に惑わされずに、労働組合が社会の発展や安定に欠かせない存在である歴史的使命を再認識し、現代社会の中でどのような活動を進めることが必要なのか、絶えず考えながら取り組むことが求められている。そして、それこそが「労働組合の社会的使命」を果たすことにつながるのといえるのである。