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来春闘への課題・平均賃上げ(率・額)の矛盾を克服できるか

このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。


春闘は基本的に、経営者が関心を持つ総原資をめぐる交渉か、組合員一人一人の賃金水準を重視するのかを問う性格を持っている。

それはどういうことなのか。
春闘が始まった当初から「賃上げ」の表示は平均の引き上げ率、あるいは引き上げ額が当たり前であったし、それは今も変わっていない。
平均の引き上げ額(率)とは、言うまでもなく組合員全員の賃金総額に対して何パーセントを引き上げるというもので、組合員個人個人の賃金水準を具体的・正確にどれだけ引き上げるのかというものではない。言い換えれば、個々の組合員の賃金水準をどのくらいに引き上げることよりも、経営側が負担する人件費総額がどれだけ増えたかというものである。

したがって、今まで当然のことと思われてきた平均賃上げ率は、経営者にとっては人件費総額の負担分をどのくらい増やすのかという交渉であり、従業員一人一人の賃金水準を決める交渉とは考えていない。経営者にとっては、会社経営を続けていくための経費の一部(人件費)の負担分をめぐる交渉の性格を持つ(初任給のみが賃金水準をあらわしている)。


一方組合側にとっては、「総労働VS総資本」という階級論に立てば、総資本の引き上げ負担額をめぐる交渉であっても異論はない。しかし死語と化した階級論に決別して、今や組合員一人一人の賃金水準を重視する時代になったのである。

それでは、平均方式は賃金総額を何パーセント増やすかというもので、個々の従業員の賃金水準の変化を表わさないとしても、両立させることはできないのか。そのためには、賃上げ率を決めると同時に、その配分を決めなければならない。配分方法が決まらなければ個人の賃金水準はわからない。
つまり、平均による賃上げ率(額)の交渉は、第一義的には、経営側の人件費負担分をめぐる交渉になり、組合員個人の賃金がいくらになるのかということは第二義的な目的になっていたのである。

それでは、組合員個人個人の賃金水準はどのように決められるのか。そこに配分交渉の意義と目的がある。配分交渉を伴わない賃上げ率(額)の交渉は、組合として必ずしも最適な交渉の在り方とは言えないのである。
最適な目的に相応しい交渉にするためには、平均賃上げ(率・額)の交渉と同時に、配分についても十分な交渉をしなければならない。
平均賃上げは経営者の側からみて総額賃金の増額分となる。単純化して言えば、今まで1億円が総額の人件費とすれば、10%の賃上げは、1000万円の人件費増となる。


もうお分かりになると思うが、平均賃上げは経営者からみて人件費の負担増額分についての交渉を意味し、従業員一人一人の賃金水準は二の次となってしまう。だから同時に賃金の配分交渉を通じて、個々の組合員の賃金水準を明らかにできなければならない。配分交渉をしない平均賃上げは、単に経営側の人件費総額の負担増額分を交渉してるに過ぎない。言い換えると、個々の組合員の賃金水準は二義的な目的になってしまうのである。


そういう眼で24年春闘を振り返ってみると、やはり平均の賃上げ(率・額)が注目を浴びているようだ。メディアにとっては、あるいは、経済との関係においては、やはり平均が重要になる。新聞やテレビにとっては、企業の従業員一人一人の賃金水準が幾らになるのかには関心はないし、価値を認めていないともいえるのである。

社会的評価と個々の組合の評価とでは基準が違うのである。どちらの基準で評価するかによって違ってくるのである。賃上げと格差を考えた場合でも、一番大事なことは、もともとの計算の基礎となる現行の賃金水準がバラバラであれば、上げ(率・額)を同一にしたところで格差は縮まらない。むしろ同率であれば賃金水準額の格差は拡大する。


その視点で組合のリーダーの基準はどうあるべきなのかを考えなければならない。はっきりしているのは社会的評価も大事だが、なにより組合員の賃金水準、すなわち平均の上げ(率・額)と同じように、その配分に対する取り組みを通じて明らかにできる組合員一人一人の賃金水準なのである。
春闘は妥結額(率)の数字だけで評価すべきものではない。配分を経営側だけに任せきりにしていてはならない。配分を通じて明らかにできる組合員一人一人の水準を、社会に明らかにすることによってのみ評価できるのである。


正確な賃金水準がわからなければ、格差改善(大手と中小、性別、学歴差、勤続差など)という言葉は絵空事に過ぎない。実のある格差改善のためには、全組合が回答内容のみならず、配分を含めて社会に公表することで初めて実現への歩みを始めるのである。
自社の労務管理の哲学を持つ労使にはこれを拒む傾向があるかもしれないが、賃金の引き上げが今や社会的要請、いや責務であることを考えれば、自社のみの都合を考える判断を止め、賃上げの社会的影響を改めて重視する交渉にしなければならない。

そして、春闘に取り組むすべての組合が参考にできる水準としての、年齢別最低賃金の明確化を図ることがその第一歩になる。
企業内における特殊事情である各種手当も順次整理し、例えば初任給、同一学歴、同一勤続での格差がどうなっているかを比較したうえで、翌年の春闘で格差改善に取り組む必要があるのである。

同じ仕事をしながら格差がある正規社員と非正規社員間、あるいは男女間の在り方を考えなければならない。何をもって格差と考えるのか、例えばパート労働者を考えた場合、パートを非正規労働者と捉え、正規社員とは違う扱いにしてきたことを当然としてきたが、労働時間のみが違う働き方と捉えれば違った考え方が生まれてくる。つまり単なる労働時間に差がある労働形態と考えるのである。どうすればいいのか。
一つの考え方として時間給を同じにして、働く労働時間の差の分だけが給与に反映される仕組みにすればいいのだ。そうなれば呼称も変わってくる。正規社員に対してパートは短時間正規社員とすればいい。
ところがパートを非正規扱いにすれば、雇用条件を低く抑え必要に応じて解雇(契約解除)しやすいと考える経営者がいる。それは雇用の不安定化を生み出してしまう。雇用の安定化を図る労働組合として「不安定化」は好ましくない。パートも正規社員と同様に雇用の安定化を図らなければならない。いつまでも雇用の調整弁みたいな処遇に放置しておいては怠慢の誹りをまぬかれない。
25年春闘に向けて、雇用の在り方へも抜本的な方針を打ち出さなければならない。その道のりは大変険しい。時間給の概念を取り入れれば、定額の月給という概念よりも「時間給×○○時間分」の給料になる。格差は月給で比べるのではなく、時間給の比較になる。そうなれば、いろいろの名称で給料に含まれてきた手当類(家族手当、交代勤務手当など)の整理も必要になる。難しい課題が山積している。

こうした考え方が正しいのかを含めて、今から議論を深め、25年春闘では新しい賃金体系の確立を目指していきたいものである。