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労働組合こそが真実を観る眼を育む―メディアに中立や公正は無理か?―

このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。


人間にとって、誰からも強制されることなく、自分で考え自分で決めるということが極めて重要だということは論を待たないが、「自分で考え、自分で決めた」と思えるというのはどういうことなのかである。

自分では自分自身で決めたと思っても意外に他人からの影響を受けていることに気がつかない。考えてみれば、算数の「1プラス1イコール2」という基本も学校の先生という他人から教わったものである。人がそれぞれ自分の考えを持っていると自覚していても、それは過去の他者からの影響の積み重ねが大きい。ただ成長の過程で、他者から教わったことであってもその知識をもとに自分で考えることによって、次に影響や教えを受ける際の取捨選択能力や判断能力を養っていくので、盲目的にコピーされているわけではない。そして判断能力の違いが百人百色の多様な意見、価値基準となる。したがって、その瞬間々々の取捨選択能力、判断能力が重要となる。
多くの人々が最も影響を受けるのは、自分の目で確かめられる範囲を超えて流されるマスメディアからの情報であろう。流されるニュースが事実なのか、公正なのか、公平なのかである。それを見極める判断力は「洞察力」といっても良い。

まずマスコミから流されるニュースとは、記者の眼、新聞社の眼、放送局の眼を経ていることを承知しておかなければならない。記者や会社の眼を経ていることは、眼、すなわち記者の思想・主観、会社の経営戦略・思想によって事実が加工されるケースもあるということを意味する。別に嘘をつかなくてもある事実から読者が感じる印象を左右できるのである。
よく活用される次の引用記事を参照されたい。最もはっきりしている代表例なのでかなり古くなるが引用させてもらう。
これは1981年4月13日付の各紙、「米国のスペースシャトル打上げ」記事の見出しである。

A紙 

(一面)
「ヒヤリの旅立ち、耐熱タイルが脱落、船体上部七ヶ所」
(社会面)
「‶重荷″背負い宇宙定期便、青空にさす暗い影、難産続き、初飛行も事故」 

B紙 

(一面)
「宇宙旅行、新時代幕開け。貨物室のドア開閉、重要なテストに成功」
(社会面)
「さあ次は宇宙旅行だ! ハイヒールでどうぞ」「大歓声・口笛・小躍り、50万の市民‶米国の再生″に熱狂」

C紙

(一面)
「順調に地球を周回、‶宇宙連絡船″実用化へ、耐熱タイル7ヶ所脱落、影響なし」
(社会面)
「ゴォーと青空へ一直線、あの‶ガガーリン″から20年、飛んだ! 瞬間大歓声、シャトル・フィーバー100万人」

D紙 

(一面)
「地球周回軌道に、荷物室ドア開閉に成功、‶実用″有人飛行時代へ」
(社会面)
「宇宙観光の夢発信、12年、2兆円注ぎ、その瞬間どよめく100万群集」

人類初のスペースシャトルの「耐熱タイルが脱落」したのも、「貨物室のドアの開閉に成功」したのも、50万人か100万人かは別にして「アメリカ市民が、群集が熱狂した」のも事実なのである。どこの社も事実に反すること、ウソは書いていない。すべて事実だ。ところが事実しか書いていないのに、一読して読者が違った印象を持つのは何故なのかである。
「ヒヤリの旅立ち」「重荷背負い」「青空にさす暗い影」「難産続き」の表現は明らかに主観である。主観の主が記者か新聞社かは知らないが、A紙は明らかに主観によって打ち上げの成果を否定的に捉えている。B紙は逆に成功を褒め称え、「ハイヒールでどうぞ」とまで書かれると、こちらの主観は「チョッとはしゃぎ過ぎ」と感じる。A紙、B紙の主観の相違を知った上でC紙、D紙と比較すると、A紙の異常なまでの反米姿勢に違和感を覚える。仮に他からのニュースも入らずにA紙しか読んでいない読者は、アメリカのスペースシャトル打ち上げという事実に対して、他紙の読者とは違った受け止めをしてしまう。それをマスメディアの操作と理解していればよいが、もし自分の自由な意思と錯覚したら恐ろしいことである。


もともとマスメディアも民間企業である以上、売上げや視聴率が広告収入の単価(販売部数や視聴率の高い社の広告料は、低い会社のそれより宣伝効果が高いので単価も高い)や広告掲載企業数にも影響を与える。広告収入が売上げの過半を占めているので、内容によっては広告提供会社の意向にも配慮せざるを得ない宿命を持つ。広告提供会社の意向には逆らい難いから、時には報道内容の「中立・公正」は守られないことも起こりうる。


よく言われる偏向報道ということになるが、ここに先ほど上げたように政党間の利害、イデオロギー問題が絡むとより複雑になり分かりにくくなる。
作家の森村誠一氏が「日本赤十字による動物解剖写真の赤十字のマークを消去、旧日本軍による中国人捕虜に対して行った人体実験」と発表した小説「悪魔の飽食」などが代表例だが、しかし、当時は写真を意図的に悪用したとして非難された「悪魔の飽食」も、写真の過ち以外の人体実験は事実であることが明らかになっている。
日本軍が、第二次大戦中、旧満州で密かに細菌兵器を開発し、実戦で使用したことが明らかになったのである、当時、731部隊(別名大将名をとって石井部隊)と称されたこの部隊は、終戦にあたって証拠を徹底的に隠滅し、元隊員は固く口を閉ざしたため、その実像を知る手がかりは限られてきた。
 2017年の8月14日、NHKは、終戦直後、旧ソ連で行われたハバロフスク裁判の音声記録を発掘し、20時間を越えるその記録に基づきNHKスペシャルで特集した。
部隊中枢の日本兵が、国防や国益のためとして細菌兵器を開発した実態、そして旧満州で日本に反発していた中国や旧ソ連の人々を「死刑囚」とし、細菌兵器開発の「人体実験材料」として扱っていた実態を克明に語っていた。
何とも身の毛がよだつ恐ろしい事実だが、細菌兵器の使用云々をめぐるニュースを見るたびに、私たち日本も同じことをした罪悪感に良心の呵責(かしゃく)に苛(さいな)まれる。
今までは、細菌兵器の開発や人体実験を否定する人たちもいるので、真実かどうかの議論が盛んであったが、この報道でようやく真実を知ることができたのだが、そうでなければ何が起きていたのかも知らずにすごしてしまったであろう。報道の重要性を改めて再認識させられたものである。
新聞やテレビには、「誤報」「曲報」「虚報」がついてまわる。「誤報」はいうまでもなく特ダネ欲しさの勇み足や調査不足、確認不足から生まれることが多い。


20世紀最大の「誤報」は、1912年4月14日の深夜に起きたタイタニック号の遭難といわれる。おそらくさまざまな情報が錯綜していたのであろう、そんな中で、ニューヨーク・イブニング・サン紙は、全ページ抜きの大見出しで、「全員救助」と報じたという。しかし、事実は1232人の死者を出す当時最大の海難事故であった。
調査不足、確認不足とは違って、「曲報」「虚報」には意図が隠されている。その意図が政権の思惑であったり、政治権力を忖度していたとしたら、私たち国民は真実を知ることなく、場合によっては国の進路を誤らせることになる。
現に政権におもねるメディアが存在している中では、国民一人一人の「真実を洞察する眼」が欠かせない世の中になっている。労働組合が、組合員の「真実を観る目」を育む役割を果たせるのか否か、それが問われる時代に入っている。