【No.1】オープン・イノベーション(個別的労使関係での組合活動の創造)の必要性
j.union社の“WEBメディア―勉強note「働く×マナビバ」”開設にあたり、これから趣を新たにして、私の遺書として上梓した西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社の内容紹介を兼ねて、シリーズにて「個別的労使関係での分権的組合活動の理論と手法」を綴っていきます。
第1回目は、「オープン・イノベーション(個別的労使関係での組合活動の創造)の必要性」を労働界に訴えるものです。
オープン・イノベーションとは、簡単に言いますと、「外部の新しい知識を受け入れる」ことです。
日本の企業別労働組合に今求められていることは、既存の組合活動の改良・改善や効率化に取り組む、深めていく「深化」ではなく、新たな組合活動を作り出す「探索」というオープン・イノベーションです。
なぜオープン・イノベーションが必要なのかと申しますと、労働界の既存の枠の中で、上下関係に縛られて、組合の存在価値や組合員・労働者への貢献価値も、従来通り当たり前のごとく捉えていたら、すなわち、同質の組織文化の中で継続した活動に取り組んでいるだけならば、まず前提を疑うことはしませんから、イノベーションとは程遠い存在となってしまっているからです。
このような現在の労働組合は、閉塞感を打破し新しいものに挑戦し物事を変えていく原動力となっていく可能性が、限りなくゼロに近い組織になっています。
また本稿は、長く言われ続けている労働組合の組織率低下や組合員の労働組合離れの原因を、労働組合が集団的取引に固執するがゆえに、職場レベルを含む個別的労使関係での交渉・協議の領域に踏み込まなかったことにあった、と指摘するものです。
1990年代以降、賃金は個的決定の性格を強め、労働組合による団体交渉の存在感や役割は大きく後退し、成果主義的人事労務管理が広がったにもかかわらず、これまでの労使関係研究の大半が集団的労使関係研究中心であったことも、労働組合弱体化の原因であることを指摘するものです。
それはつまり、労働経済学の「労使関係とは、労働給付と報酬の集団的取引」との通説を覆す、異次元の労使関係論の展開であり、労働組合に、視野のコペルニクス的転換を求めて、個別的労使関係での組合活動の創造(オープン・イノベーション)を主張するものです。
そして、本稿が提示する仮説は、人的資源管理が展開する目標管理・人事考課制度は、仕事が労働者主導で行われていくことを意味し、目標管理・人事考課制度の各面談を個別労使交渉・協議力に変え、職場懇談会等による自律的職場集団が形成されるならば、企業別組合ならではの規制力を生み出しうる、というものです。
集団的労使関係での団体交渉や労使協議によって維持・確保される関係に加えて、こうした個別的労使関係での分権的組合活動が併設されることが、「組合員の組合離れ」の打開策である、と主張するものです。
また、こうした個別的労使関係での分権的組合活動は、企業と労働組合に対する二重の帰属意識を有する日本の労働者の価値観と行動様式に根差したものであり、有効な策となることを教示するものです。
さらに、「オープン・イノベーション(個別的労使関係での組合活動の創造)の意義」にまで言及するならば、成果主義の中でますます重要化した個人面談を、個別的労使関係での労使交渉・協議として組合活動の重要な機会と捉え返し、自主管理活動の場とすることが、労働組合の新たな活躍の場と、今後の労使関係の新たな地平を切り拓くものとなることです。個別的労使関係研究の学術的意義を解明し、労働組合論に新たな課題と展望を与えるものと言えましょう。
つまり、「オープン・イノベーション(個別的労使関係での組合活動の創造)のねらい」には、これまで労使関係研究の世界において着目されることのなかった、企業内での個別的労使関係での分権的組合活動に注目し、そこで形成されている新たな労使関係を明らかにしようとする含意があります。
また、そこに生み出される新たな労使関係にこそ、長年問い続けられた課題である、労働組合の組織率の低下と組合員・労働者の組合離れはなぜ進むのか、またそれを、労働組合はなぜ防げなかったのか、どうすべきだったのかに対する解決策があるとするものです。
現に、近年の企業は、成果主義型の賃金・人事制度への改革によって、労使関係を企業と労働組合という集団的労使関係から、職場における上司と部下間の個別的労使関係へとウエイトを移してきました。一方、先進的な労働組合では、そのことに対抗して、集団的労使関係のみならず個別的労使関係において、新たな労使関係を生み出しています。
したがって、本稿の目的・ねらいは、そのような先進的な労働組合の活動はどのような組合活動であり、どのように組合員を参画させ、どのような可能性を切り拓こうとするものであるのか、先進的な労働組合の事例を通して、明らかにしようとするものです。
歴史的に見れば、19世紀英国のウェッブ夫妻の『労働組合運動の歴史』(初版1894年)や『産業民主制論』(初版1897)以来、労働組合とは「賃金労働者が、その労働生活の条件を維持または改善するための恒常的な団体である」とされ、また、そのような労組の方法論は、集団的労使関係での「団体交渉」である、と教科書化されてきました。そして、労使関係とは、経営側と労働者側の労働力の集合的取引であるとされ、集団的労使関係での団体交渉もしくは労使協議という領域でのみ捉えられていました。そのため、現在においては、組合員・労働者の多様化・個別化志向に対応した組合活動が不在となり、組織率の低下とパラレルな関係にある組合員の組合離れが生まれたのではないか、というのが本稿の問題意識です。
また、成果主義的な人事管理制度への改革によって、個別的労使関係に問題が多発しており、職場に労使関係を必要とする空間領域が生まれています。どんなに雇用管理、賃金管理、昇進管理、労働時間管理、能力開発などの人事制度が体系的に整備されていたとしても、制度通りに運用されることはまずありません。小さな不平不満をはじめとして、人権無視やコンプライアンス違反などの大問題を生み出す運用が多々見られます。そこに労働組合および組合活動が必要とされる部面が存在する、というのが本稿の問題意識です。
ただし、本稿は、近年よく見聞する「労組機能不全論」や「労使関係終焉論」にとらわれて、産業(資本)の民主化と生活水準の向上(付加価値の分配)への貢献、労使関係におけるルール作りという集団的労使関係での重要性と、その役割を否定するものではありません。
それは今後も変わらないものであると考えています。
しかし、職場の中にこそ組合活動を必要とする空間領域があり、またその空間領域から生まれている新たな組合活動(労使関係)を、リサーチする必要がある、と考えるものです。その一番の方法は、目標管理・人事考課制度の各面談を逆活用して、労使交渉・協議になっており、かつ、職場リーダーを中心にした職場での自主管理活動を創出していることが、労働組合活動の再活性化を可能にしている、という仮説を立証せんとするものです。
ただし、誤解のないように付け加えておきたいのですが、個別的労使関係での分権的組合活動によって、集団的労使関係での集権的組合活動は蘇生され、逆に、個別的労使関係での分権的組合活動は、集団的労使関係での集権的組合活動によって保証・補完されることで活発になる、ということも主張せんとするものです。
どのような時代の企業経営であろうとも、職場には労使関係を必要とする空間領域が生まれています。それゆえ、組合員一人ひとりが「職場の主人公」となって、個別的労使関係に発生する問題を解決する組合活動の機会や場を用意する必要があります。
したがって、集団的労使関係の「土俵」が、今後も堅持されるべきものであることに変わりはありません。しかし、労使関係においては、仏を作って魂を入れるのは職場であり、それは個々人の個別労使交渉・協議にかかっているのです。
組合役員がすべての組合活動を担うことなどできるものではありません。また、してもいけません。いかに一人でも多くの組合員を組合活動に巻き込み、主体性を発揮して組合活動を担ってもらう状況を生み出すかが重要である、ということを本稿が示さんとするものです。組合活動を、組合役員が担うべきものと、組合員一人ひとりが担うべきものとを明確に役割分担する必要がある、とするものです。
まとめると、本稿が提示せんとすることは、労働組合運動も、「我々は」の時代から「私は」の時代にシフトしたということの示唆です。それはまた、集団的労使関係だけではなく個別的労使関係での「土俵」においての「闘い方」を模索しない労働組合に未来はないことを示すものです。
そして、「労組機能不全論」は集団的労使関係で見た場合にいえることであり、個別的労使関係での春闘はこれから始まっていくものです。個別的労使関係で「労使関係終焉論」など、ありうるはずもない、という新たな知見の提示です。