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【No.6】労働力取引には、個別的労使関係での発言と合意、人事考課=査定を対等にしていく場が必要

j.union社の“WEBメディア―勉強note「働く×マナビバ」”開設にあたり、これから趣を新たにして、私の遺書として上梓した西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社の内容紹介を兼ねて、シリーズにて「個別的労使関係での分権的組合活動の理論と手法」を綴っていきます。
※前回の記事はこちらから


何といっても、数ある先行研究の中で、個別的労使関係での分権的組合活動にまで肉薄したのは石田(2003)です。
 
労働組合とは労働力の集団的販売組織であるはずなのに、労働力を「集団的」に販売していない。日本の労働組合は「集団的」に賃金交渉をおこなっているが、組合員が個別的に労働力を売り込む余地を開いている。だから、労働力を「集団的」に販売しきれていない。この販売価格における集団性と個別性の併存が現代日本の組織労働者の最も重要な特徴である。日本の組織労働者の賃金が多分に個人別取引に委ねられている という事実こそが、組合員の結束を絶えず風化させる根本的な原因をなしている、と石田(2003)は指摘します。
 
そこで、労働組合が仕事のノルマ等の達成水準(部門業績管理)に発言を及ぼそうとすれば、労使協議のテーブルの上に載せていく必要がある、と示唆します。そして、労使関係とは、報酬と仕事について労使が対等に交渉し合意し、報酬と仕事についての規制を制定・運用する営みであるが、日本の労使関係は仕事についての規制の制定が著しく苦手である、と指摘します。
 
さらに、石田(2003)では、労使関係の個別化の下で労働組合が取引主体として機能を保持する要点は、この仕事と賃金が管理化される事態に対して、いかように取引的ルールの実体を埋め込むことができるかにあるとして、

「労働支出の内容についての発言と合意の営みが必要である」(p.114)

とか、

「個別化した報酬制度では人事考課=査定の場が賃金決定の場である。ここが労使対等でなければ賃金決定も労使対等とは言い難い。実態は対等という前にそもそも取引とは認識されていない。しかし、人事管理の成果主義化とともに、人事考課は業務目標をめぐる目標面接という合意形成を内に含まざるを得ないので、趨勢として取引化に向かっている」(p.114)

と指摘します。
 
このように、石田は、仕事ルールの分析を通して、個別的労使関係での発言と合意、そして、人事考課=査定の場を対等にしていくことと、労働力取引の場にしていくことの必要性を述べるものであり、それはつまり、個別的労使関係での分権的組合活動こそが求められることを指摘するものだと、言えるでしょう。
 
 

そしてさらに、石田(2003)が、

「目標面接の話合いの内容の充実、フィードバック等をしっかりチェックすること。人事考課の2次、3次の調整手続きに組合の参加が適切かどうか考えてみること。評価の苦情処理が活用されていないのが普通であるが、それが何故か、どうしたらもっと気楽に活用することができるようになるのかを議論してみること」(p.217)

だとして、目標面接を規定する部門業績管理の運営にあたり、労使間で合意しておくべき事項として下記7項目をあげます。
 

  1. 部門の目標値の合理性もしくは納得性

  2. 目標を達成するための予算と人の配分の合理性と納得性

  3. 部門内部の職場への目標値のブレークダウンの納得性、同様に職場への予算と人の配分の納得性

  4. 上記目標値や予算の月次展開の合理性や納得性(例えば、売上の月次目標と残業予算や人の配置は整合性があるか、等)

  5. 進捗管理体制の適切性(例えば、進捗管理会議で個人の人間性を損傷するような追及は根絶すべきである、等)

  6. 部門業績管理の仕組みに教育訓練の予算と人が保証されているか

  7. この部門業績管理と個々人の目標面接が接合的に組まれているかどうか

以上7事項を、労使協議のテーブルの上に載せて、仕事のノルマ等の達成水準(部門業績管理)に発言することの必要性を、石田は指摘します。
 
ただし、ここでの石田が指摘する「労使協議のテーブル」とは、どの階層での、どのような形態のものなのかについてまでは言及していませんが、西尾は、目標管理・人事考課制度での各面談こそが、その「労使協議のテーブル」になるものだと捉えます。
 
 

そこで、西尾(2023)は、目標管理・人事考課制度での各面談で、話し合うべきこととして、石田が指摘する「どれだけ働いて」の仕事のルール研究(仕事論)としての4項目(石田2012:2-4)、

  1. 「どんな仕事を」(課業[タスク]とその集合としての職務[job])、

  2. 「何時間かけて」(労働時間)、

  3. 「どの程度の労働密度で」もって、

  4. 「どの程度の出来ばえで遂行するのか」(職務レベルとその達成度)

に区分される。
と、日本の労働支出のルールとして、
1.の「どんな仕事を」は、職場への配置のルール・配置後の課業の設定のルール、
3.の「どの程度の労働密度で」は、業務計画(あるいは生産計画)のルール・要員水準のルール、
4.の「どの程度の出来ばえで」は、目標面接や職場の上司部下間のコミュニケーションに司られている。
だから、日本での労働支出のルールは、経営目標をどのように達成できるかという経営管理の仕掛け(PDCAサイクル)の観察から一挙に解き明かすことができる。
そして、2.の「何時間かけて」(労働時間)の決定の実情がわかれば、その改善方法も示唆することができる、
―と指摘している項目こそが、目標管理・人事考課制度での各面談で、話し合うべきことだ、と解釈します。
 
さらに、石田(2012)において、日本の雇用関係のルールの最大の特徴は、集団的決定の領域が狭く、個別的決定の領域が広いことである。そのため、ベースアップが僅少になり、一時金の原資が組織業績に連動した算式によって決定されるようになった今日、客観的にも基本給や一時金の決定は、人事考課次第となる。と同様に、仕事の範囲、仕事のレベル、そして労働時間についても、個別性が特徴となる。よって、労働時間も職場の上司部下関係や職場メンバーの社会関係によって決定されざるを得ない仕組みになっており、労働組合が個別的決定にいかなる影響を与えているかを記述できなければ、労働組合の意義も不鮮明にならざるを得ない(p.5)、との警告がなされている。日本は「集団的取引」を明瞭な時代として経験をしなかった特異な国であるとの石田の指摘と、その上で、第2次世界大戦の敗戦から1950年代までの労使対立はこの「集団的取引」に相応しい労働側の規制が現れはしたが、規制の定着のいとまもなく「能力主義管理」に滑り込んだこともあって、今日の日本では、経営の裁量的あるいは機会主義的行動を抑制する労働組合による集団的規制が後退している。したがって、経営の裁量的あるいは機会主義的行動を抑制する新たなルールが発見記述される必要がある(pp.213-214)との指摘から、西尾(2023)は、目標管理・人事考課制度の各面談を個別労使交渉・協議の場にしていくことの必要性を確信しています。
 
 

個別的労使関係での分権的組合活動にまで迫った先行研究は、中村・石田(2005)も同じで、同著では、これからの労働組合の役割について、

「ホワイトカラーの『働いて』(仕事のレベルと量)は自己管理によって制御されている。財務的指標であれ非財務的指標であれ、結局は上司と部下との『コミュニケーション』によって統御される。このように労働サービスの取引が上司と部下の1対1の関係に集約されるのが労使関係の『個別化』である。ここにさまざまな課題が潜伏している。端的に労働組合の役割はあるのか。あるとしたら、『働いていくらになるのか』のルールにいかなる様式でいかなる内容の関与をすべきか。この様相をどのように見定めるかがやはり緊急の課題である」(p.278)

と述べています。
 
以上の指摘からも、労働者個々人が個別的労使関係での分権的組合活動(領域A)において対等な交渉ができるようにすることが、労働組合の役割であることを示唆するものだ、と西尾は解釈します。
 
さらに、個別的労使関係での分権的組合活動にまで迫った先行研究として、西尾は三吉(2013)を取り上げます。
 
三吉は、

「職場における労使関係を記述し、職場におけるコミュニケーションのニーズと実態を明らかにすることによって、職場内コミュニケーションという問題に対して、企業・労働組合に求められる役割を明確にしてみたい」(p.104)

として、図2-1を示しました。
個人ごとの労働時間が労使間での調整・協議を経てどのように決まっていくのかを、企業内における集団的-個人的の軸と公式―非公式の軸で4象限に分けて見ようとするもので、領域ⅢとⅣが、西尾が示す領域Aに該当します。
 
三吉は、労働時間に限らず、個々人の仕事の量と質は第Ⅰ象限(集団的―公式的)での手続きだけでは決まらず、第Ⅳ象限(個人的―公式的)の個人単位にまでブレークダウンされて合意形成されていくことになるが、さらに第三象限(個人的―非公式的)における上司部下間のコミュニケーションによって決まるところが残されている、としています。
 
そして、労働力の取引(どんな仕事を、どれくらいの時間をかけて、どのようなレベルでおこなう)のルールを決めるには、第Ⅲ象限(個人的―非公式的)で決まるものを少なくして、せめて第Ⅳ象限(個人的―公式的)で決めるようにすることの重要性を、それを三吉は「境界線をより左に動かす」と表現して強調しています。三吉は、またそれを

「今後の研究課題としても第Ⅲ象限を『公式化』し、解明することが大事である」(p.112)

と述べています。
 
したがって、経営側に課業配分の多大な裁量が与えられている雇用ルールの下で、「権利乱用がなされていないということを充分に感じられる」ためには、労使協議や目標管理制度などの公式的な制度やルールだけでは不十分で、日常的な仕事の進行に際して不断のコミュニケーションが不可欠になる、との三吉の示唆を重視し、西尾は個別労使交渉・協議力(発言力)と職場での自主管理力の発揮の必要性を確信します。
 
 
参考文献
石田光男(2003)『仕事の社会科学』ミネルヴァ書房
石田光男(2012)「序章 本書の目的と方法」「石田光男・寺井基博編『労働時間の決定―時間管理の実態分析』ミネルヴァ書房
中村圭介・石田光男編(2005)『ホワイトカラーの仕事と成果―人事管理のフロンティア』東洋経済新報社
三吉勉(2013)「現代における個別化された労使関係の研究方法について」『日本労働研究雑誌』労働政策研究・研修機構No.631 特別号
西尾力(2023)『「我々は」から「私は」の時代へ―個別的労使関係での分権的組合活動が生み出す新たな労使関係』日本評論社