このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。
世界の中で、議会制民主主義のお手本とされているのがイギリスであるが、なぜイギリスで議会制民主主義が誕生し、今日まで発展してきたのだろうか。
世界の歴史の多くは、封建制度から民主主義社会の構築へと進んでいくのだが、その先頭にはイギリスが君臨している。民主主義の象徴は、それまでの王侯・貴族による封建的権力の行使から、市民の選挙による多数派権力の行使になるのだが、この権力の移行は単純に行われたものではない。長い期間にわたる市民の汗と努力の結晶なのである。その結晶の最大の特徴は議会の創立にある。
ウィリアム・H・マクニールはその著書(「世界史」)で、次のように指摘している。
このイギリスの議会制は他のヨーロッパ諸国に、それまでの自分たちの柔軟性を欠いた政治システムを再編成するための模範になったといわれ、今日の民主主義国家を作り上げていくのである。
民主主義国家というのは、一人、あるいは一部の人々による権力の行使を議会によってチェック、時に後押しし、時に行き過ぎをコントロールするシステムがあることを意味する。
しかし、その道のりは簡単なものではなかった。それまでの制度による既得権益者を中心にした反発は想像に難くない。
議会制民主主義によって大きな恩恵?を受けたのが一般の市民、その中でも中心を成したのが労働組合であった。
労働組合を形成する労働者とは。
当時の集まりは同じ職種同士(ギルド)が中心で、やがて集団に力がついてくると、会社が人を採用する場合にも職能別の集団からでなければ採用できない。今で言う職能別組合である。余談だが「労働組合の形態は労働市場によって決まる」といわれる理由で、後にふれるが日本が企業別組合になったのも同じ理由だ(次号で詳述)。
こうしてイギリスやドイツで労働組合が誕生するが、当時は児童労働も当然で劣悪な条件で働かされる労働者の生活は過酷を極め、飢え死にする児童や労働者は後を絶たなかった。このような社会のすさまじい状況からマルクス主義が誕生するのだが、やがて資本家対労働者という階級対立と革命を至上命題とするマルクスの理論は破綻を来たし、イギリスでは労働者自らが政党を設立(労働党・1906年)する。
一方、日本で労働者が生まれるのは明治時代の「富国強兵・殖産興業政策」によってである。イギリスに遅れて日本でもやっと産業の近代化が図られ、地方から都会へ多くの人々が労働者として集まってくる。当時から戦前まで、何人かのリーダーによって組合が作られるのだが、リーダーは主として社会の矛盾や精神のありかたに関心を示す人々が多く、労働者の不満をまとめるというよりかなり哲学的(あるいはキリスト教的人道博愛主義ともいうべき思想から組合運動に入るなど)な側面と、アメリカからの影響を強く持っていた。ドイツに後れること30年、アメリカ留学組の片山潜(1859~1933)、高野房太郎(1868~1904)等により1897年(明治30年)に、日本初の労働組合、「労働組合期成会」が結成されるのである。
細かく調べると次のようなことが言える。