労働組合はこれから何と闘うのか?~2023春闘で見えた課題と展望 part3
「働く×マナビバ」では『j.uinonジャーナル』で好評だった特集「労働組合はこれから何と闘うのか?~2023春闘で見えた課題と展望」を前・中・後編の3篇に分けて掲載。
本記事では、電機連合、UAゼンセン、自動車総連に所属する大手三労組をお招きした座談会の様子を掲載。それぞれの産別が推進した2023春闘の裏側に迫る。
※前回の記事はこちらから
ゲストプロフィール
労働の主体性を自覚するための機関
~デジタル化した社会の落とし穴
B氏
当組合は各職場から専従役員を選出してもらっていますが、職場から人一人出すというのは大変なことです。短くても2年間は一緒に仕事をしますが、その人が職場に戻ってから活躍してもらえれば、次の人も成長の場として組合に送りだしてもらえる。専従期間での成長は、本人にとってはもちろん、組合の人材確保としてもとても重要なので、組合の教育的側面を評価されるようにならないといけないと考えています。
与えられた業務をいかに遂行するかを自ら考えて動くのが仕事であり、仕事は自分でつくるものだと思います。役員の主体性を引き出して、新しい価値観を生んでもらい、自分の成長にもつなげられるような労働組合になりたいと思っています。
A氏
先ほど社会的責任という視点の提示がありましたが、連合、産別、各単組それぞれが、それぞれのポジションに沿って役割を果たすことが極めて重要だと考えています。ナショナルセンターである連合は、政府や経済団体とマクロで議論し、社会的方向性の合意形成を図る。産別は各産業特有の事情で何を取り組むべきかを議論してまとめる。各単組は現場の組合員の状況や課題意識を把握し、どう組合員を支援するのかについて科学的観点でまとめ上げ、実現を目指す。連合、産別、単組、組合員が階層的に機能すれば、全体としてうまくいくはずです。今の構造を前提とするなら、各階層が実際に機能できているのか否かをもっと問うてもいいのではないでしょうか。
C氏
流通業界は国内の企業間競争で余計な体力を消耗しているのが現実です。統廃合や再編が収まった中で、業界の水準を上げていく、もしくは流通業界全体の価値を上げていくために、今の連合や産別の動きが後押しになっているかというとやや疑問です。私たちの業界が優秀な人材の流入する器として成り立つためには、各社がそれぞれで頑張るというのではなく、業界の労使が足並みをそろえて水準を上げていかなければなりません。業界全体の水準が上がって初めて、業界として商品価値を上げるという形でないと、社会に対する説明ができないし、それができなければ取り残されて、最後は業界が消滅してしまう。産別がどう機能するのかは、今後もっと議論していく必要があるし、まして複数の業種を抱えるUAゼンセンは足並みをそろえるだけでも相当な体力を使います。その部分で他の産別とは異なる課題もあります。グローバルに闘っていく仕組みを、一企業の労使の中でイチから築くのは難しいことです。ただ私たちの業界は歴史が浅い分、新しいものを生み出せる可能性があるのではないかとわずかな希望を持っています。
これからは生活者、労働者の視点でダイレクトに経営に関与していけるようにならねばと思っています。組合専従者には、よりリアルにより深く掘り下げる能力が問われます。我々は、専従者が会社の現場では経験できないような、しかも会社に戻ったときに仕事に直結するような経験をさせなければならない立場です。自ら厳しいところにチャレンジするよう仕向けていく責任があります。
A氏
企業の競争力を高めて収益を増やす一方で、人への投資も含めてどのような分配をすれば、全体としてハッピーな状態にしていけるかといった観点で、労使はそれぞれの立場を尊重して対話し、それぞれがやるべきことに集中する必要があるのではないかと思います。
当社は、経営判断においてデータを重視することで意思決定を早めようとしています。会社がデータに特化した経営にするなら、我々はアナログなところをきちっと差し込んでいく。それが会社の健全な発展に向けてのステップです。また、組合の力を活かせる役割なのだと信念を持つことが、我々の立ち位置であり、存在意義・存在価値ではないかと思います。組合員には少しでもいいから関わってもらうこと。関わったことによって起こったアクション、形になったものをフィードバックすれば体感につながります。その体感ができれば、組合に興味関心を持ってもらえるし、執行委員になることで、自分の幅を広げる経験ができ、それが業務にも活かせるのだと感じてもらうことができます。
組合活動は、非専従者にとっては最もリスクの低い副業だと思っています。高い裁量で企画を立案することができ、相応の予算も付くことから実現の可能性も高い。また、仮に失敗しても解雇されることはないわけで、これほど心理的安全性の高い仕事と役割を担える機会は、世の中にそうはありません。新しいチャレンジができ、自信が付き、会社や職場のためになることは間違いないのですから、執行委員をやらないなんてもったいないと思います。
編集後記
労働組合は何を相手に闘っているのか。その格闘する相手が見えないところに現代の労働運動の難しさがある。そんな問題意識で今回の対談を企画した。
資本家を相手取り、対抗していた時代はとうの昔に過ぎ去り、労使協調路線を歩んで久しい労働組合が、あえて「春闘」という集団的労使交渉の枠組みを採用し続けている事実について、筆者は単にそれが前年踏襲、惰性によるものとは思えなかった。労働組合は、確実に何かと闘っているように見えて仕方なかったのだ。具体的な形を伴わない「何か」。それをあえて「敵」と表現するならば、労働組合は「デジタル」と闘っている。対談を経て、筆者はそういう結論に至った。
人間という生身の存在そのものや人間の感情、行動、希望というものは、本来数値化することも、その良しあしや価値を外部から評価することもできない「アナログ」な存在だ。しかし、そのままの状態では総体として捉えにくいとして、離職率の調査やエンゲージメント調査の結果、給与の額、出社率などのデータやグラフに強引に置き換え、疑似的に観測するようになった。その加工作業に慣れ親しんでしまった私たちは、本来人間は「アナログ」な存在であるという当たり前の事実を見落とし、データやグラフだけで物事の良しあしを判断してしまうという過ちを犯してしまう恐れと常に隣り合わせの環境下にいる。これは経営陣や人事に限った話ではなく、組合執行部も同様のモノの見方に陥ることがある。さらには組合員も自身の「アナログ」性を持て余し、自分の好みと向き合うことなくスマホで「おすすめ」されたものをありがたがり、自分の頭で考えることなく上司の「指示」が下りてくるのを待ち、下りてきた指示を忠実にこなすことばかりが洗練されるようになっている。その様は、任意の入力に対して一定の出力をはじき出すプログラミングされた機械のようだ。
労働組合幹部は、そんな機械的な情報処理に依存した人間、そして自らを機械化した人間一人一人に対して、「あなたの思いはどこにあるのだ」と問いかけ「正気に戻れ」と目を覚まさせる対話を全方位的に仕掛けている。そして自らも機械的な情報処理で判断を済ませてしまいたい、他者からの入力に反応するだけでいたい、という誘惑にあらがっている。その様が筆者にはしっかりと、「闘っている」ように見えた。
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