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君が代と国歌を考える

このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。


世界で一番短い国歌は「君が代」といわれる。
ゆっくりと雄大なリズムで歌い上げる「君が代」は、文字に表すと世界で最も短い国歌だという。

【和歌の5・7・5・7・7のリズムを基にしたもので、3句目を字余りの6音とした構成になる。世界の中で歌詞のついた国歌では最短の歌なのだ。】

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ちなみに世界にはコソボ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、サンマリノ(イタリアに囲まれた小さな国家)などのように、歌詞のない国歌もあるという。

太平洋戦争(第二次世界大戦)では、日本がアジア諸国を侵略した象徴として国歌「君が代」と国旗「日の丸」が存在した。そのために、今もってかつての日本の軍国主義を彷彿(ほうふつ)させるとして、とくにアジア諸国から評判が悪い。
しかし歴史を見ても、どこの国も世界の中心は自分の国だと考えている。その誇りを否定することはできない。

【日本人はどこから来たのか。高天原から高千穂に降臨したという「古事記」の記事を昔の人は率直に考えて、日本を「中(なか)つ国」つまり、高千穂と地下の黄泉の国との中間にあると考えていた。つまり日本の先祖も自分の国を一種の「中国」と考えていたのである。ただシナ人(支那人=「支那」とは、中国またはその一部の地域に対して用いられる地理的呼称、あるいは王朝・政権の名を超えた通史的な呼称の一つであることがあります。ただし、この呼称には差別的な意味合いが含まれるとされ、現在では避けられる傾向がある)が自分の国を中国という時は、この世の中の真ん中の国で、その東西南北の周辺の諸族を東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)と蔑視していたのである。すなわち、シナ人の中国は水平的な面での真ん中ということであったらしい。
 古代において自分の国を地球の中心、つまり中国と考えていた民族は東洋に限らない。近代においては、どの国でも自国出版の世界の地図では自分の国が「中国」になっている。つまり世界地図の真ん中に自分の国が書いてある。これが水平的な中国で、シナの意味での中国である。古代ギリシャでは、全世界の周囲をオケアノスという大きな川が流れていると考えていた。これが英語でいう「大洋(オーシャン)」の語源であるが、これに対して、この地の真中の海は地中海であった。地中海の「中」は「中国」の仲と同じく水平概念である。従って古代のシナ人やギリシャ人やローマ人のもっていたそれぞれの中華思想は水平的中華思想と言いうると思う。
 古代の日本を「葦原の中国(なかつくに)」と言った時、この中国の意味については古来いろいろ議論がある。山鹿素行(やまが そこう=1622年9月21日―1685年10月23日は、江戸時代前期の日本の儒学者、軍学者。山鹿流兵法及び古学派の祖である)などは、この「中」の字は陰陽の中、気候の中などを意味し、暑からず寒からず、温暖にして、万事において中庸を得ているからだと主張した。しかしこの場合、周囲の国々という意識がないこと、それに反して天の意識があること、ついで黄泉の国が出てくることから考えると、原義として、垂直的に考えての中国という宇宙感から出ていると考えるのが至当である。天孫降臨が九州の高千穂という国の中心からうんとずれたところに起こったという神話も、中国が水平的な地理感覚での真中という意味でないことを暗示しているようである。】

「日本史の中の日本人」渡部昇一


賛否はあるものの、このような歴史観をもとに作られた資料をさらに紐解くと、「君が代」の言葉の出典は『古今集』の巻頭にあるという。

【「君が代」は、10世紀初頭における最初の勅撰和歌集である「古今和歌集」の「読人知らず」の和歌を初出としている。世界の国歌の中で、作詞者が最も古いといわれている。当初は「祝福を受ける人の寿命」を歌ったものだが、転じて「天皇の治世」を奉祝する歌 となった。1869年(明治2年)に薩摩琵琶(日本中世に生まれた盲僧琵琶は、九州地方の薩摩国(鹿児島県)や筑前国(福岡県)を中心に伝えられたが、室町時代に薩摩盲僧から「薩摩琵琶」という武士の教養のための音楽がつくられ、次第に語りもの的な形式を整えて内容を発展させてきた。薩摩琵琶の「蓬莱山」にある「君が代」を歌詞として選んだ歌が原型となっている。
その後1880年(明治13年)に宮内省雅楽課が旋律を改めて付け直し、それをドイツ人の音楽教師フランツ・エッケルトが西洋和声により編曲したものが、1893年(明治26年)の文部省文部大臣井上毅の告示以降、儀式に使用され、1930年(昭和5年)には国歌とされて定着した。】

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とは言いつつも、必ずしも正式に国歌として制定されたものではないため、オリンピックなどのスポーツ競技の優勝者を称える際、あるいは小中学校で式典が行なわれる際に歌われただけのようだった。
そんな中、第二次世界大戦中に軍隊を中心に使われてきたため、敗戦によって「軍国主義に対する反省」、さらに「新憲法で天皇が国の象徴とされた」ことから、学校で君が代を斉唱することに対し、その是非をめぐって激しい論争が繰り返された。その際には、「君が代」に代わる新たな国民歌制定の運動なども生まれていた。
そして、「国旗及び国歌に関する法律」によって、ようやく「君が代」は日本の国歌と制定されることになる(平成11年8月:公布日である8月13日が「君が代」記念日)


♪ 君が代は  千代(ちよ)に八千代(やちよ)に  細石(さざれいし)の 巌(いわお)となりて
苔(こけ)の生(む)すまで

戦時中の戦意高揚のために歌われたことが戦後の論争の元となったのだが、歌詞そのものをめぐっても意見がたたかわされた。
とくに「君が代」の解釈で、「君」が軍国主義の根幹となった「天皇」を指すからと言われた。「軍国主義は、軍人が天皇を利用して、国民を悲惨な戦争へ導いた」と考える人々にとっては、「君(天皇)が代」は、軍国主義の象徴として否定するのは当然の論理的帰結なのである。
しかし、スポーツの祭典や、学校で唱和するときにこうした歌詞の意味を抱いて歌う人は皆無であろう。むしろ「君」は国民を指しているという意見もある。そう思えば何の問題もない。

世界の中でも、そもそも国歌がない国もあることを含めて、国歌とは何なのか、新年を迎えて改めて考える機会を得たように思う。
 


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