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育休にメリットなどなくても

少しずつ普及してきたように感じる男性育休ですが、男性育休についてはまだまだその「メリット」と紐づけて語られることに違和感がぬぐえないでいます。「育児に従事することにメリットを感じたから」と言って子どもを産み育てる女性は少なく、ただただ親の責務として子どもと向き合っていると思います。そこに好き嫌いもなければ、やるやらないの選択肢もありません。

もちろん、「子育ての経験で得られるものは何もない」ということが言いたいのではありません。私も子育てを通じてしか学ぶことのできなかったこと、味わうことのできなかった経験が無数にあると思っています。ただそれは子育て単体の意義・価値として語られるべきだと思います。

「メリット」という言葉を使うと、育児の経験が育児の外部に転用できる利益を持つーだからこそ育児に参画する意義がある、と主張しているかのような印象を受けます。ここで言うメリットは、例えば「マルチタスクをこなせるようになった」というような業務スキル向上ー最終的には自身の経済的利益に直結するもの、のような意味を含んでいるはずです。経済的利益に換算し直さなければその価値を算定できない、というのはとても精神的に貧しいことだと思います。

そのロジックをそのまま経営陣に持ち込んで、「男性に育休を取らせれば本人のパフォーマンスもエンゲージメントも上がり、会社の対外的ブランド価値も上がるので結果的に儲かりますよ」と、「経済効果」として男性育休が吹聴されているのだとしたらとても残念に思います。なぜ経済的な利益と紐づけることなしに、男性の育休を語ることができないのか。そういう憤りを感じるのです。それは単なる言葉のあやだよ、過敏に反応しすぎだよ、と言われてしまえばそれまでなのですが。


かく言う私も、妻からの恫喝説得がなければ、育児休業を取るという選択が脳内をよぎることはありませんでした。父親になる自覚を問われ、また妻が女性というだけでなぜ仕事のキャリアを断絶させなければならないのかと訴えられ、初めて当事者意識を持つことができました。結果として私は、長子(2015年)の時に10か月、次子(2018年)の時に8か月の育児休業を取得しました。

私が育児休業中に意識したのは、1にも2にも母体の回復です。胎盤を見たことがある方は理解いただけると思いますが、出産は内臓摘出の大手術と遜色ありません。産婦人科医には「交通事故にあったくらいの衝撃」と教わりました。そのような重傷を負った女性が、負傷当日から母乳を吸い取られるなんて酷としか言いようがありません。母乳は血液から作られるので、怪我人が輸血しているのと大差ないのです。

我が家はミルクとの混合を選択し、母乳は日中のみ、夜泣きについては夫である私がミルクを作って飲ませ、寝かしつけまであやすという生活をしていました。深夜の夜泣きが一番応えるので、そこを健康で体力のある男が頑張ろうという判断でした。深夜に起こされる日々は地獄そのものでした。ミルクを飲んでも2時間ほど泣きっぱなしでずっと抱っこをしつづけてあやし、挙句の果てには腰のヘルニアも経験しました。この点についてはメリットなどあったものではありません。ただただ苦行です。しかし、この苦行を自覚することなく、妻にだけ押し付けなくて本当に良かったと安堵しました。人の想像力などたかが知れていて、身をもって体験しないと実感できないことばかりですから、育児休業を取らずにいれば私がこの苦労を知ることはなかったと思います。

育児には間違いなく「地獄」の側面があります。育休を取得することで、地獄の側面をパートナーと分かち合って乗り越え、子どもを育てる喜びや感動、発見を感じられる余裕を確保できたことは本当によい選択でした。

他にも、命を預かることの重み(妻なしで数時間赤ちゃんを養育する緊張感)、平日の日中にふと感じる社会との断絶、孤独感、仕事にブランクが生じることの焦燥感、周囲に育児と仕事の両立の大変さを理解してもらうことの難しさ(不可能性)など、大半の母親が味わってきたこと(を何分の一かに希釈したもの)を育児休業期間中に体験することができました。女性がこれほど大変なのかということと、それでも女性の大変さは本当の意味ではわからないということの両方を知りました。これらの経験はいずれも私に経済的価値をもたらしませんでしたが、それでもやはり私の価値観を根底から揺るがす重要な経験だったと断言できます。

男性育休をメリット論ではなく、純粋に親の責務として、そして核家族化により何かと負担が集中しがちな母親の支えとして、その意義を真正面から肯定する社会になってほしいものです。

#育休から育業へ


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