沈黙は『金(きん)』、『雄弁は銀』か
このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。
よく耳にする諺(ことわざ)に「沈黙は金、雄弁は銀」がある。沈黙することは多くを語る以上に価値があるという意味に使われる。また、下手な弁解や言い訳をするくらいなら、黙っていた方がましであるという意味合で使われることもある。
「沈黙することは時には雄弁よりもまさる」ということだが、日本では昔から、思っていることをそのまま口には出して他人に不快な思いをさせるなら、黙っていた方がいいという考えがあるものの、それとはまったく意味が違うのである。
では「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉はどのように生まれたのであろうか。
余談だが、この言葉は古代エジプトやギリシャ、ローマが起源とする説や、「この格言ができた時代は銀の方が金よりも価値が高かったため、本来は逆の意味だった」などの説もあるという。
しかし、明確な根拠に乏しく創作されたものが多いとされている。
いずれにして、もさまざまな解釈がある言葉の代表例ともいえる。私たちが日常の生活で使っている「沈黙は金、雄弁は銀」の言葉の意味としては、「黙っていた方が気持ちは伝わりやすい」という意味と、「余計なことを言わない方がいい」という意味を表す二つの使い方がある。
前者の意味を表すとすれば、「言わぬは言うに勝る」というものであるが、これは、「口に出すよりも黙っている方が、自分の思いをより相手に伝えらえることがある」ことを意味し、「沈黙は金、雄弁は銀」と全く同じ意味である。
また、古来、「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」いわれている言葉も同じで、「騒がしく鳴く蝉よりも、鳴けない蛍の方が身を焦がすほどに光る」というのもある。また、「口に出さずに内に秘めている方が思いは切実である」ことを表現している。
また、「言わぬが花」や「口は災いのもと」という同じ意味に使われる言葉も同じである。「言わぬが花」は「差しさわりのあることは黙っているのが良い」ということを意味し、「口は災いのもと」は「迂闊な発言は災難を招く」という戒めを含んだ言い回しということになる。
ちなみに英語ではどのように表現しているのかによれば、
ということのようだ。
言葉は人と人のコミュニケーションを図る手段だから、正しい日本語を正確に話すことが重要になるが、人とは面白いことに「話す」ことにもさまざま思いを抱くものらしい。
私にもこんな経験がある。
「話の上手い人をあまり信用しない」のを信条としている人がいた。話しで「事の真相をごまかす」、極端にいえば「嘘で塗り固める」類(たぐい)の解釈をしているからのようだった。言葉で表すよりも「事実で証明する」ことを求めるという考えだったのだろう。
いずれにしても、日本で古くから親しまれていることわざや格言には、人間のありかたや生き方の教えが表されていることが多く、世の中のことわりがわかりやすくまとめられていることが多いのと同時に、社会生活を送る上でも役に立っている。
それではどのような場合に使われることが多いのだろうか。資料(ウイキペディア)によれば、
のように考えることが好ましいというのだ。
一方、現代の社会においては、自分の考えや仕事を全うするためにプレゼンテーションが重要視されるようになっている。こうした場合には、「沈黙は金」ではなく、「沈黙は効果ゼロ」になってしまう。
また、プレゼンテーションをうまく行うには、相手に不快感を与えることは避けなければならない。どのようなケースが相手に不快感を与えることになるのか。それがなかなか分からない。相手が親しい友人で、いつも付き合っているようなケースなら、ある程度推測できるのだが、初めての人との場合は、わからないことが多い。
簡潔な話を好む人、細かな説明をしなければ理解しようとしない人、「阿吽(あうん)の呼吸」(注・参照)を重視する人、人はさまざまだ。さまざまな人を相手に、たった一つの方法で事が足りるとは思えない。それぞれの人に相応しいやり方があるのだ。
「時に沈黙、時に雄弁」がふさわしいということなのだが……。
私たちは、会社の組織の一員として自分の意思をどのように他の人に伝え、理解を得るのか、絶えず考えて日々を過ごしていかなければならない。
(注:阿吽の呼吸= 二人の人間がぴったりのタイミングで行動を起こすことを 「阿吽 (あうん)の呼吸」 と呼ぶ。 「あ」 は口を開いて出す音、 「うん (ん)」 は口を閉じながら出す音。 これが「息を吐く」、「息を吸う」という呼吸をイメージさせ、 「息をそろえての行為」 を意味するようになった。)