孤独とコロナ
※過去のコラムの転載です。
また一人、心優しいプロフェッショナルが亡くなった。
先日の大阪での放火事件、今回の埼玉県ふじみ野市での立てこもり事件。どちらもコロナ禍で傷つき苦しんでいる方々に寄り添い、強い責任感と深い愛情で現場の最前線で頑張ってこられた方々である。彼らに刃を向けたのは、社会との関わりを絶ち深い闇に落ちていた者たちだ。何の落ち度もない、むしろ彼らに手を差し伸べてくれた数少ない支援者であったであろう方々に対して、最後自らの破滅に付き合わせるという、最大の甘えを犯したその罪の大きさは計り知れなく、深い悲しみと怒りを覚えてならない。
ただ、このような事件がこれだけ続くのだ。彼らに怒りをぶつけるだけでは終止符を打てない。なぜこのような行為が行われるのか、今回はその心理について考えてみたい。
今回の事件を起こした犯人は、家族を含めた社会から断絶された者たちばかりである。ふじみ野市の事件では年老いた病弱の母と2人で暮らしていたが、ほぼ寝たきりの母は医療関係者以外での外部との接触はなく、70歳を手前にほぼ社会との関わりを拒否し2人だけの生活を送っていたが、その母も亡くなった。
大阪の事件では、それこそ誰ともかかわり持つことなく電気やガスも通っているかどうかわからないような住宅でたった1人で生きていた。「生活感は全く無かった」と近所の方がたは異口同音に口をそろえる。彼らに共通して感じられるのは圧倒的な孤独と絶望感である。
アメリカの精神分析家のエリク・H・エリクソンによると65歳以降は「自己統合」の時期である。つまり「良い人生だった」と思えるかどうかによって変わってくるのである。この人生における究極の問いの答えを出していくことが、この時期における人生を「生きる」ということなのである。
しかしこの時期は同時に「死」も意識する。「人生いかに死ぬか」、これも同時に自身に問いていく。そのため老いに絶望したり、老後に大きな不安を抱えている場合、精神疾患を発症することもあるのだ。
自己統合が絶望を上回ると、これまで生きてきた知恵を自分の下の世代に受け継ぐことができ、より良い老後を過ごすことができる。しかし、他者とのかかわりを持たず社会と断絶をしてしまった彼らにとって「自己統合」できるチャンスは閉ざされ、深い闇に落ちてしまった。
ドイツの社会心理学者エーリッヒ・フロムは「孤立こそがあらゆる不安の源である」と説いた。
「人間のもっとも強い欲求は、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求である。この目的の達成に全面的に失敗したら、精神に異常をきたすに違いない。なぜなら、完全な孤独という恐怖心を克服するには、孤独感が消えてしまうくらい徹底的に下界からひきこもるしかない。そうすれば、下界も消えてしまうからだ。(エーリッヒ・フロム「愛するということ」)
徹底的に下界からひきこもるには、だれにも頼ることなく、必要ともしない圧倒的な体力と自立心、生命力が必要だが、一般人には非常に高いハードルであると言わざるを得ない。また個人的にはそのような人生にどんな彩があるのか、魅力を感じることは難しい。70歳を前に彼らは何を思っていたのだろうか。
新型コロナウイルス蔓延の長期化は、私たちに病と同時に孤立や孤独といった現代社会が抱える心の問題に拍車をかけた。コロナの本当に怖さはここにある。暗闇に私たちを飲みこもうとする渦に決して屈してはならない。
そのためにも私たち労働組合は、たがいに力を合わせ、組合員一人一人に寄り添う職場活動を推進していかなければならない。かつて労働組合は「友愛」を旗印に、組合員と共に数々の難所を立ち向かい、超えてきた。
いまこそ、労働組合の力を発揮できるときである。
私たちの大切な人をこれ以上失わないためにも。