エッ! 箒や丸太で税金を支払った歴史
このコラムは、元連合副会長・元JCM議長(現顧問)・元電機連合委員長(現名誉顧問)である鈴木勝利顧問が、今の労働組合、組合役員、組合員に対して本当に伝えたいことを書き綴るものです。
年の瀬を間近にした2023年10月末、政治の世界では岸田政権の「減税」の政策をめぐって多くの議論が重ねられた。減税の真意が国民の生活改善を目的にしたものであるにしろ、選挙目当ての人気取り政策であったにしろ、税金を納めている国民から見れば、自分たちの生活が無視されている政治の世界における茶番にしかみえない。
本来なら減税といえば国民は大いに喜ぶべき話なのだが、なぜか多数の国民が頭を傾げざるを得ない話題になっている。実に奇妙な現象なのだ。
なぜなのか、そもそも所得税という税金はどうして生まれて現在に至っているのか。そこから紐解いてみよう。
日本で普及している税金の考え方は、明治政府が実施した「地租改正」(1873年)にあるといわれる。この「地租」というのは土地の収益に対して課される税金で、土地の面積や地価、作物を栽培している場合は収穫高に応じて計算された。
明治政府は「地租」を全国一律に課税することで、財政基盤を確立させ安定した税金を得ようと考えた。そのために土地の所有に対し税金を納めるという制度をつくった。
さらに、江戸時代までは農作物での納入を認めていたが、これを認めず、金(カネ)での納入によって政府が想定したどおりの安定した収入を得られるようにした。
現在もこの流れは続き、税金は物ではなく現金(クレジットカードや電子マネーも含む)で納めることになっている。このように現金以外での納税はできない。
そして戦争が起きると、税金の引き上げが繰り返される。戦争が起きると多くのお金が必要となるため、お金を集めるために税金が変更されたり新設されたりする。実際、日本でも日露戦争や大東亜戦争において、税金が新設されるなどして徴収されてきた。
よく言われるように、戦争には非常に多くの金がかかる。現代では戦争に億円や兆円単位での金がかかると言われているが、昔もこれに匹敵するような金が必要であった。
日本では戦費に必要な金を確保するために、税金の新設や変更が繰り返された。このように戦争と税金は非常に密接な関係にあり、互いに大きな影響を及ぼし合う。戦争が起これば税金が増え、税収が増えれば多額な戦費を賄え戦争で有利になるということを繰り返してきた。
そして政府は確実に税金を徴収するために、戦争が起きたタイミングで法律を改正してきた。
代表的なものでは、酒税を確実に徴収するために、「酒の密造を禁止する法律」や「塩の販売を専売制とする法律」を成立させた。
するとどうなるのか。「これらの法律があることで、人々は指定されたお店から購入することとなり、結果として必ず税金を支払う」状況が生み出され、同時に国の徴収も確実になる。
そして、1905年には「相続税」が新設される。戦争で多くのお金を利用したため、それらを取り戻すべく新しい税金の体制が生み出されたのだが、新設される税金は臨時のものが多く、現代まで恒久的に適用されているものは相続税に代表される一部のものに限られている。
そして戦費の増大に対し税金だけで賄えなくなると、大量の「国債」が発行されることになる。
この新円切り替えの方法は凄まじく、個人が持っているそれまでの通貨の内、5円以上を強制預金させ、1人100円までを新円と取替え、残りは封鎖してしまうのである。これによって、流通する通貨は4分の1に減少したため、さすがのインフレも沈静化していった。
100円以上持っていた人は、100円までしか新円に取り換えてくれず、それ以上の金額は封鎖されてしまう。封鎖されるというのは、封鎖分は事実上没収されるという意味である。今では考えられない、そんなことをしたら暴動が起きそうなものだが、当時の混乱した社会環境、占領軍の力を背景にした強い国家権力だからこそ行えた方法といえるのである。
こうしてみると、税制というのはその時代、その時代の政権の都合によって変遷を繰り返してきたことがわかる。
そしてその変遷には、生活に追われる庶民・国民の声は反映されない。権力者、それを支持する一部の人々の思いのままに進められてきた。反面、国民の声に阿(おもね)れば敗戦後のインフレから脱却できず、生活は困窮を極めたであろうし、敗戦による荒廃から脱却するために、占領軍GHQの強大な力があってこその大改革といえ、今日の日本を形作る基礎ができたのかもしれない。
税は権力者にとってあらゆる理屈をつけてでも、一円でも多く国民から徴収できる財源である。それは、国を形作る礎だからである。それゆえに私たちは税制に無関心であってはならない。
日本の税制がたどってきた歩みを見たとき、税制を権力者に盲目的にゆだねることなく、自分たちの生活に直結する政策ととらえ、自分なりの分析や考慮を重ね、機会をとらえて声を上げることを心しておきたいものである。